プロローグ-起業への挑戦-
私が起業を考え始めたのは、社会人になり、薬剤師として働き始めて2年目の時です。
世間では安定した仕事と言われる、薬剤師という資格。
私、馬場ふゆかは、2016年に薬科大学を卒業し、薬剤師として働き始めました。
薬剤師になったのはどうして?と聞かれたら、理由はポジティブなものからネガティブなものまでいろいろあります。
・家系的に自然と医療系の道を志していた
・安定した職につきたかった
・医療に携わりたかった
・人並みにできることが勉強しかなかった
・医師にはなれなかった
・人の役に立つ仕事がしたかった
安定を求める心があった傍ら、それとは相異なり、薬学生の頃から漠然と『何かを成し遂げたい』という気持ちも持っていました。
ただ、学生の頃は『ビジネス』という概念すら知らず、自分のイメージできることの範囲内で将来を考えていたので、薬剤師の最終形態の夢(笑)として、薬局経営を目標に持っていました。
しかし、薬剤師として働くようになってすぐ、紆余曲折あり薬局経営という希望は自分の中でなくなり、卒後2年目にして「将来どうしたいか」に悩み、派遣薬剤師として色々なところで働くようになります。
基本的には親が敷いてくれたレールを歩み、安定した人生には不満も不安もありませんでしたが・・・初めて人生に迷ったことが、私にとっての大きな転機となりました。
正社員としての働き方しか考えていなかった私にとって、派遣という働き方は、不安定で怖いものでした。
新しい職場が見つかったらすぐに転職しようと思っていたのですが・・・これを境に、私が正社員に戻ることはありませんでした。
・いろんな職場に行けて、いろんな人と出会うことが楽しい
・職場によってこんなにルールややることが違うんだと実感
・「職場失敗したらどうしよう」「この苦手な人とずっと一緒なのかな」という心配がない
・自分が動きさえすれば働けるところはたくさんある
派遣という働き方を通して、「仕事っていろんな形がある」ということを初めて知りました。
そして何より、派遣をやって初めて知った感情は、「私」を選んでもらえることの喜びと楽しさです。
正社員であったときは私がその職場で働くのが当たり前なので、私自身が『自分を選んでいただけた』という感覚がありませんでした。
しかし派遣薬剤師として働くと、1,2ヶ月程度で更新か終了かを判定されます。
そして、私はほとんどの職場から契約更新のお願いをしてもらえたのです。
更新をしてもらえることが、派遣として普通なのかどうかはわかりません。
私にとって契約更新の依頼をしてもらえることは、数多くいる薬剤師の中から「私」を選んでもらえたということ。
そしてそれは、「もっと働いてほしいと思っていただけるくらい、私はその職場でお役に立てた。」という自己評価にもなっていました。
選ばれたなんて、そんなたいそうなものではない。
相手の職場にとっても、その場を繋ぐために、都合よく見つかったいち派遣薬剤師が私だっただけ。
そういうふうな捻くれた考えもできましたが、そんなこともどうでもよくて。
どんな理由であれ、必要な人として「私」を選んでもらえたあの胸の高鳴りは、正社員の時には味わえなかったものでした。
派遣を初めて3ヶ月も経つ頃には、
・私を雇ってくださった薬局には、最大限の貢献をしていく
・馬場さんいると助かるよねって思ってもらえるようにできることは何でもやる
・派遣に求められているのは即戦力、各薬局で私に何を求められているのかを最初の1時間で判断する
・スーパー派遣薬剤師になる笑
ということを自然と考えながら働くようになり、この考え方が起業した今も大きな基盤になっています。
私の意思で働き方を選んで、そして相手にも私を選んでもらえて、収入も上がった。
しかし、派遣という働き方に慣れてきた頃、私の価値観の1つである『安定思考』がざわつき出しました。
「でもこの働き方は、今が20代で子供もいないから問題なくできてるだけだよね?」と。
・こんなふうに自由にずっと派遣で働いていきたい
・でも現場仕事はいつか年齢に限界が来る
・今は20代でテキパキ動けるからどこからも声をかけてもらえるのだろう
・でも大手のマネージャーみたいな働き方にはあまり興味がない
・薬剤師としての働き方は現場が好き
・医療者として他に働き方はないんだろうか
次第にそう考えるようになり、ここから起業への挑戦が始まりました。
稼げているのに取れないモヤモヤ、起業塾での大きな葛藤
働き方を変えようと思った矢先、運良く信頼できる方から紹介をいただけて起業塾に入会。
詳細は割愛してしまうのですが、卒業までの1年間で、約100万円の売り上げを出すことができました。
1年目でしっかりした売り上げを出せたことは良いスタートでしたし、周囲から見れば、当時の私は『早く成功した人』だったでしょう。
ですが、稼げば稼ぐほど、私の中には「今のままでいいのだろうか?」という葛藤が大きくなっていっていました。
なぜか。
私自身が、『ビジネスとは何か』をわかっていなかったからです。
無知ゆえに何も疑問を持たず、「これをやれば結果が出るんだ」と、愚直に学び行動した結果、その通りの結果を出しました。
これ自体は良いことだったと思いますが、この時の私はただ教わったことをただ模範実践するのみで、『思考』がほとんど働いていなかったんですね。
起業塾で教わっていたのは、アフィリエイト。
起業、ビジネス、価値提供、アフィリエイト、マーケティング…色々学んで結果も出したけど、覚えただけで、本質は全く理解していなかった私。
利益を出すまではとにかく必死で走り抜けられたのですが、ある程度のお金をいただけるようになって初めて、
ビジネスとは?お金とは?起業とは?と、今まで考えていなかったことがぐるぐる頭に駆け巡り、足が止まりました。
「いただいたお金に見合うだけのことを私はできたのか?」
「薬剤師の時よりも、誰かの役に立てただろうか?」
「結果を出したはずなのに、自分をなぜか誇れない。今の挑戦を堂々と家族や友人に言えない」
「マーケティングは教わった通りやったらできたけど、正直よくわからない」
そんな時に出会ったのが、マーチャントクラブ創設者、菅智晃さん。
今振り返ればとんでもないですが、当時は稼ぐためのノウハウや、自分に都合のいい同業者のビジネスマインドの話しか聞いていなかった私。
菅さんのたった1回のセミナー。その内容は、当時の私にとっては全てが衝撃的でした。
その話を聞いて初めて、『ビジネスとは何か』ということを学びました。
・ビジネスは生き様だ
・応援する人は応援される人になる
・実績やスキルがなくても誰にでも応援はできる。メッセージや会への参加が応援になる
・顔も出さずHNで自分を隠してばかりで相手に信頼を謳うのはおかしな話
・おままごとみたいなビジネスはやめよう
・マーケティングはサプライズと一緒
そのセミナーの内容は、起業して7年目を迎えた今でも私のバイブルとなっています。
菅さんから、ビジネスとマーケティングを学びたいという気持ちが強くなり、そこから清水の舞台から飛び降りる気概で、菅さんに顧問コンサルティングの面談を受けたいとメッセージを送りました。
面談当日は、緊張でお腹を壊すもののなんとか合格。
菅さんの元で下積みをさせていただいてからマーチャントクラブにも入会し、「ビジネスとは何か」を肌で学びながら、挑戦を積み重ねていくことになります。
この頃の私は、まだ自分自身の『在り方』というものは意識していませんでした。
ですが、振り返ればこの時から、自分が大事にしたい『在り方』を守ろうとしていたのだと思います。
結果を出していたものを全て捨てて、マーチャントクラブでの挑戦の始まり
モヤモヤするなら一度もう全部やめて、菅さんの元での学びに集中しようと決意。
それまでに作り上げた、利益を生んでいたアフィリエイトの仕組みは全て壊し、0から実践ベースでマーケティングを学び始めました。
正直、2年間くらいはけっこうしんどかったです。
周りには自分よりも圧倒的にキャリアも実績も高い先輩がずらり。
挑戦して結果は積み重ねているものの、売上になっていない以上、ビジネスとして成り立っていないのではないかとの不安がモヤモヤ。
まだコミュニティ運営としてやっていなかった頃から、毎月勉強会を開催していました。でも…
・勉強会は全く利益を出していないし
・毎月人が来てくれるかなって心配で集客に追われているし
・セミナーを定期開催することが自分のビジネスの成長になっているのかわからない
目先のことしか考えられなかった当時は、自分の未来に不安がいっぱい。
自分の未来は不安だったけれど…けれど、目の前のことには全力で向き合い続けました。
・勉強会に来てくれた人にもっと貢献できることはないか
・どうしたらまた来たいと思ってもらえるのか
・どう声をかけたら新しい人にもきてもらえるのか
・来月は何をしたら面白いだろうか
・ほぼ毎回反省会をして次回に活かす
次第に…この勉強会を通して変化が起きていきました。
・常連メンバーができてくる
・大先輩が登壇してくれる
・本部の先輩方が何人も応援してきてくれる
気づけば、自分のことを応援してくれる人や支持してくれる人が集まってくれていました。
後から、『勉強会の定期開催主催』という実践を通して、多くのビジネススキルやマインドが磨かれて、さらに人との繋がりが広がっていたことにも気づきます。
選ばれるビジネスは何か。
人に向き合うってどういうことか。
次第に、仕事依頼や協業相談も増え…売上も増え…
目の前にいる人を大事にしたらお金は後からついてくる、
ということを身をもって体験しました。
そして勉強会定期開催を2年継続したのちに、菅さんからマーチャントクラブの支部構想と、埼玉支部のコミュニティ運営のお話が来ることとなります。
このコミュニティ運営に挑戦したことが、私の更なる転機となっていきます。
コミュニティ運営、マーチャントクラブ埼玉支部代表への挑戦
コミュニティ運営を通して学んだことは、組織運営。
組織運営を通して学んだことは、徹底した人への向き合い方です。
メンバー一人一人にどうスポットライトを当てていくか、ということを常に考えています。
中でも、『前向きに行動した結果、トラブルが起こってしまった時』こそ、向き合い方を頭捻って考えていたなと思います。
・メンバーが悪気なくルール違反してしまった時
・メンバー間でトラブルが起きた時
・メンバーが自分の知らない外部でトラブルを抱えた時
・承諾が難しい前向きなお願いをメンバーから提案された時
・コミュニティ運営で避けられない退会や休会の連絡をいただいた時etc
トラブルそのものに目をむけてしまいがちですが、上記はどのケースも、実は真剣にビジネスに取り組んでいるからこそ起きる事象。
どういう想いを思って、どうなったらいいなと考えて、その行動をしたのか。
何を解決したいと思っていたのか。
その場では失敗してしまったとしても、向き合い、乗り越え、次に活かしていけば、それは「失敗は成功のもと」に昇華していきます。
自分から行動して、トラブルを起こしたい人はまずいない。
大体のことは、良かれと思って行動した結果、きっと何かかけ違いが起こってしまったのではないか。
こうした事態に向き合い続けるほど、代表という立場の私の対応次第で、大体のトラブルはなんでもないことに変えていけることを学びました。
決して、私が代表で偉いからではありません。(そもそも偉くありません)
私が誠心誠意対応していくことで、
周りの人たちも私に向き合ってくださるようになるから、
お互いの声を落ち着いて聞けるようになるから、
一緒にトラブルを乗り越えることができるようになりました。
まずは私が、代表として責任を持って、誰よりも目の前のひとや事に丁寧に向き合うことが大事。
良い意味で、私自身が背負っている責任の重さを知れるようになりました。
『責任を取ることが社長の仕事』
そんな話を聞いたこともありましたが、法人化してそれが急にピンと来たわけではなく…
コミュニティ運営を通し、自身の責任感が強くなってから、自分の事業の流れが良くなっていくのを感じるようになりました。
私自身の責任の持ち方が変わっていったからこそ、色んなことが円滑にいくようになったと少しずつ実感できるようになります。
マーチャントクラブ埼玉支部の運営をして3年。
コミュニティの成長とともに、コミュニティ運営とは全く関係のない私の他の事業も一緒に成長していきました。
コミュニティ運営に向き合い続けたら、別の事業も伸びていくだなんて、想像もしていませんでした。
いろんな仕事をしていますが…コミュニティ運営、医療メディア事業、スクール事業、そして講師業、サポーター業、どの仕事においても、私自身の『在り方』は一貫して変わりません。
ビジネスは生き様だ。
この言葉を胸に、『在り方』を大事にできたからこそ、一人のひとへの向き合い方が、仕事への向き合い方に繋がり、そして他の仕事にも良い影響を及ぼすようになったと思います。
マーチャントクラブに所属して6年。本部10周年に参加して感じた大きな変化
そして迎えた、マーチャントクラブ10周年という、大きな節目。
本部会員として、記念の周年会に参加するのは6回目。
埼玉支部代表としては、3回目。
毎年緊張している日ではありますが、この10周年の年は、これまでの挑戦が、今日この日に色々な場面で形を成したのではないかと思うことがたくさんありました。
支部メンバーにとって、会いたい人がたくさんいたこと
これまでこの周年会に参加していた埼玉支部メンバーさんは、私とずっと一緒にいることが多かったり、埼玉支部メンバーだけで固まっている事も多く。(それはそれで嬉しくて良いことです)
支部メンバーと本部メンバーの交流は、少しハードルがあるようにも感じていました。(気持ちはすっごくわかります)
けれど今年は当日を迎える前から、
「〇〇さんはいますか?」
「〇〇さんと〇〇さんに会いたい!」
と、埼玉支部メンバーから、会いたい本部メンバーの名前が何人も挙がっていたのです。
遠方から来てくださった埼玉支部メンバーも多く、懇親会では全員と喋ろうと決めていたのですが…
むしろメンバーさんが、この日しか会えないかもしれない他の本部メンバーさんとたくさん話していて!
私が全ての埼玉支部メンバーと話す時間がありませんでした笑
支部の役割はいくつもありますが、その役割のうちの大きな1つが、「本部の理念を色んな方に伝えたい」ということ。
埼玉支部は、敷居が高く見える本部への架け橋でもあるのです。
今年の10周年では、まさに埼玉支部をきっかけに、たくさんの方が本部メンバーともお酒を飲んで、楽しそうに話していました。
嬉しくて嬉しくて。
私の尊敬する菅さんの世界観を、ビジネスの在り方を、私と一緒にいてくれた方に、少しでも伝えることができたのではないかと。
大先輩との会話の変化
自分がどんなふうに先輩から見られているのかは・・・全くわかりません笑
私自身、先輩方と話すのは結構緊張しますし、自分のビジネスの話なんて恐れ多くてほとんどした事もないくらい。
ですが、この日は、「登壇頑張ったね」「スピーチよかったですよ」と、たくさんの方に声をかけていただき、そしてお話しすることができました。
この日が本部で初めての登壇だったわけではありません。
周年会での登壇は、実は6年連続。
頑張ったね、とは、これまでも声をかけていただいていましたが、話した内容についてしっかり触れていただけたのは、今回が初めてだった気がします。
スピーチをきっかけに、挨拶だけでなくて、褒めていただけて、大先輩方と笑って色んな会話ができた。
毎年登壇の機会を作ってくださり、私が何度物怖じしても、声をかけてくださった菅さん。
前に立ち続けることで変わるものがあると、教えていただきました。
マーチャントクラブに所属して6年目にして、ようやく偉大な先輩方に一歩近づけたような気がしました。
家族や友人に堂々と見せれた、誇りを持てるビジネスの形
起業当初の私が抱えていた悩みの1つが、「自分のやっていることを知り合いにうまく説明できない」ということ。
教わったことをやっていただけで、ビジネスとは何かを理解していなかったがゆえに、自分の挑戦に自信を持てていませんでした。
6年前、本当に駆け出しの頃、自分のやっているアフィリエイトについて話した時、親しかった人に「それは詐欺だ」と言われたことが一度だけありました。
ショックで、詐欺じゃないよと精一杯やってることを伝えましたが、納得してもらえるような実績もなく、自分が全てを理解できていなかったのでうまく伝えることもできず。
この出来事は私の中にずっと残っていて、その日から、「ひとに誇れる仕事がしたい。そうじゃなければ薬剤師を辞めて起業する意味がない」と強く思うようになりました。
『WEBから医療貢献』を夢見るようになったきっかけの1つでもあると思います。
・医療メディアの仕事ができて
・理学療法士や看護師と組んで医療特化コンテンツ運用ができて
・社団として大学病院との仕事ができるようになった
マーチャントクラブに所属した5年間で起きた変化です。
初めてビジネス交流の大きな場に来てくれた、10年来の親しい友人がかけてくれた言葉。
「ベスト支部って結果出してるの凄い。
あなたが結果出してるからこそ、
このコミュニティは良いとこなんだと信じられる。」
これはもう、私にとって最上級の褒め言葉で。
私がマーチャントクラブでどんな挑戦をしているのか、どんなビジネスをやっているのか、何の説明をしなくても、自分のやっていることが認めてもらえている。
変わりたいという一心で菅さんにメッセージを送って、そしてマーチャントクラブに入れてよかったと心から思えた10周年でした。
10周年の後にいくつもあった嬉しい報告
当日だけでも嬉しいことがたくさんありましたが、なんと、翌日から、事務局長と埼玉支部メンバーから嬉しい報告が続きました。
・2024年に支部内での企画の実績をもって、大先輩から埼玉支部に登壇していただけるお話をもらえたこと
・支部メンバーが本部メンバーと配信コラボすることが決まったこと
・埼玉支部メンバーからweb3.0支部の事務局長が誕生したこと
・大手出版社から内定が出た埼玉支部メンバー
・新しい仕事が決まった埼玉支部メンバー
・鈴木優営業戦法を使ったら大逆転で集客を成功させた埼玉支部メンバー
・実績ベースで初登壇が決まった埼玉支部メンバー
これらの報告のほとんどが、2024年に頑張ったこと繋がっていっての結果であったということで。
挑戦が繋がっていく、人が繋がっていく、仕事が楽しく続いていく。
これを埼玉支部全体で、大きく一歩叶えられた年になったのではないでしょうか。
2024年ベスト支部の代表としての登壇
今回最も緊張した、マーチャントクラブ埼玉支部代表としての、大トリ登壇。
ちなみに原稿はかなりしっかり書きました。
文字数は3,000文字程度で、登壇直前まで暗記に必死でした笑
伝えることに必死で、文面にもパフォーマンスにも、全く遊びは入れられず。
とても真面目なスピーチになりましたが、嬉しいことに、「良かった」「感動した」と、たくさんの反響をいただきました。
このスピーチのプレッシャーは、本当に重くて。緊張で結構泣きそうでした笑
・菅さんが、ベスト支部の代表として私を選んでくれた
・それを、名だたる本部の重鎮メンバーの方がずらっと聞いて、見ている
・私のパフォーマンスが、本部メンバーから菅さんへの評価の1つになるのではないか
・私の言葉が、支部メンバーの今後を変えるきっかけになるのではないか
・ここまで支えてくれた事務局長、その期待に応える話をしたい
・大トリを任されているのだから、他支部の支部代表や事務局長の名に恥じない自分でいなければ
もうね、こんな考えが私の脳みそにひしめきあっていたんです。
だから本当に、凄く凄く緊張しました。
この7分のスピーチにかけられた、私の責任は重大だと。
何を伝えたいのかをメッセージを意識して、原稿も何度も何度も書き直して。
これからも、私にかけられた期待と、背負っている責任を力に、マーチャントクラブ埼玉支部の代表として、メンバーと共に挑戦を重ねて、震えながらも登壇し続けたいです。
やっぱりビジネスは生き様だ
マーチャントクラブ10周年を振り返って書こうと思った記事ですが、気がつけば私のビジネス挑戦への物語を書いていました。
なぜ、こんなに最初から全てを振り返って書こうと思ったのか。
それは、『ビジネスは生き様だ』を、改めて、文字でも残したいと思ったからです。
『ビジネスは生き様だ』という言葉は、菅さんから(勝手に)継承した言葉です。
けどこの言葉は、一番最初からピンとくる言葉ではないと思うんです。
令和のこの時代、起業はお金のために始める人も多いでしょうし、生き様なんて日常生活の中でほとんど聞かない言葉で、考えもしないのではないでしょうか。
起業初期の頃の私も、『生き様』なんて考えたことはありませんでした。
けれど、私はここに引っかかって、苦しくなって、そして結果的にビジネスに真正面から向き合うことになりました。
『在り方を大事に』と、私は最初から必ず伝えるようにします。
いきなり『ビジネスは生き様』は伝わらなくても、「自分が大事にしたいことは守ってね」というメッセージは伝わるから。
自分の在り方を蔑ろにして利益を優先していたら、常にモヤモヤして辛かった時がある。
在り方を大事にするようにしたら、思うような結果が出ない日が続いて苦しかった時がある。
粘って粘って、挑戦し続けたら、在り方も守れて、ビジネスもしっかり育つようになった。
私自身のこの実体験を通して、この記事を読んで、『ビジネスは生き様だ』ということが、より一層伝わったら嬉しいです。